皆さんこんにちは、北区の四方寄町で有料老人ホームたいじゅ四方寄という介護事業所を経営しております、緒方伴泰と申します。

ちょうど1年前はたいじゅ四方寄のオープン前のレセプションパーティーを行いました。

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思い返してみると、この1年は、今まで出会わなかった様な困難にも出会い、今まで経験したことがないほど浮き沈みの激しい年でした。

しかし、なんとか今日までやってこれたのは、多くの方の支え、そして、家族、両親の支えがあったからです。

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ちょうど1年という節目のタイミングで、私自身のバックグラウンドと、事業にかける想いをお話し致します。

私は1985年、昭和60年の5月31日に瓦屋を営む両親のもと、長男として誕生しました。

両親は、結婚して10年間こどもが生まれず、不妊治療をしながらの待望の長男だったということで、それはそれは祖父達、緒方家の喜びようは大変なものだったそうです。

私が生まれた当時、祖父は、旧飽託郡の北部町の町長をしており、特に地域福祉の充実に熱心に取り組んでいた関係から、本当に多くの方からお祝いの言葉を頂いたということを聞いております。

 私の伴泰という名前は、友達がたくさん出来ますように、そしていい友達に恵まれますようにという両親の想いから、伴という字を、そして泰という字は曽祖父の代から緒方家の長男に使われている字ということで、私の使命は、素晴らしい仲間とともに、緒方家をますます繁栄させることであると、生まれた時に勝手に義務付けられているようです。

 保育園、小学校、中学校と自然豊かな環境の下、すくすくと成長し、高校3年間は水球部に所属し、勉強そっちのけで毎日部活に打ち込みました。

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 この当時は将来のことなどなにも考えていませんでしたが、部活を引退し、進路を選ぶ時期が来た時に、両親から「もう瓦屋はたたもうかと思っている、その後は、もう現役を引退していた祖父の想いを受け継ぎ、福祉事業をやりたいと思う、だからお前は大学で社会福祉について学んできて欲しい」と相談されました。

私自身、特に将来やりたいこともありませんでしたし、この道ならば手っ取り早く社長になれるだろうということで、東京にあります明治学院大学、社会福祉学科に入学し、4年間社会福祉について学びました。

 4年間福祉について学び、最初は東京の介護事業所に就職しました。やる気まんまんで仕事を始めましたが、そこで目にしたのは、厳しい介護現場の現実でした。

学生時代、介護の仕事はやりがいのある素晴らしい仕事だよと教えられていましたが、実際の現場では、本当にやりがいを感じているのだろうかと疑問に思うほど、不満や愚痴ばかり口にしている先輩スタッフ、やりがいはあるのだけれども、金銭的な問題で離職していく先輩スタッフ、中には、本当に熱心に自分を犠牲にしながら利用者に尽くす先輩もいましたが、途中で燃え尽きてしまい結局離職してしまいました。

 介護福祉業界のタブーのひとつとして、見返り、お金を求めてはいけないというものがあります。介護福祉は、ボランタリー精神から出発していることもあり、どうしても稼ぐこと、儲けることに抵抗を感じてしまうスタッフや経営者は多いように感じます。

 私はこの思い込みを変えていきたいと思っています。介護福祉の仕事をしながらも金銭的な見返りを求めてもいい!やりがいのある仕事を行いながらもしっかりとその対価を頂き、物心共にゆたかな毎日を送ることが出来る!そんな会社を作っていきたいと思います。

 両親からもらった私の使命にもありましたように、素晴らしい仲間に囲まれ、やりがいのある毎日にワクワクしながら、物心共に満たされ、私だけではなく、みんなが繁栄していく。そんなチームを作っていくことに、私は全力を注ぎたいと思います。